今まで気づかなかったこと
今日で11月も終わりです。時間が経つのがあっという間で少しこわい。光陰矢の如し。
少し元気が出なかったので朝からまた伊藤野枝を読みました。殺される数ヶ月前の文章。
今まで気づかなかったけれど、「覚悟」という言葉がたくさん出てくる。覚悟していたから強くいられたのかと思う。
ビートルズのCDを聴いていたら、今まで気づかなかったけれど、In My Life という曲はとても良い。今まで何となくしか聴いてなかったけれど、歌詞を見てみたらとても良い。
There are places I remember
All my life though some have changed
Some forever not for better
Some have gone and some remain
All these places have their moments
With lovers and friends I still can recall
Some are dead and some are living
In my life I've loved them all
But of all these friends and lovers
There is no one compares with you
And these memories lose their meaning
When I think of love as something new
Though I know I'll never lose affection
For people and things that went before
I know I'll often stop and think about them
In my life I love you more
Though I know I'll never lose affection
For people and things that went before
I know I'll often stop and think about them
In my life I love you more
In my life I love you more
秋だからか感傷的になってしまった。
少し元気が出なかったので朝からまた伊藤野枝を読みました。殺される数ヶ月前の文章。
今まで気づかなかったけれど、「覚悟」という言葉がたくさん出てくる。覚悟していたから強くいられたのかと思う。
ビートルズのCDを聴いていたら、今まで気づかなかったけれど、In My Life という曲はとても良い。今まで何となくしか聴いてなかったけれど、歌詞を見てみたらとても良い。
There are places I remember
All my life though some have changed
Some forever not for better
Some have gone and some remain
All these places have their moments
With lovers and friends I still can recall
Some are dead and some are living
In my life I've loved them all
But of all these friends and lovers
There is no one compares with you
And these memories lose their meaning
When I think of love as something new
Though I know I'll never lose affection
For people and things that went before
I know I'll often stop and think about them
In my life I love you more
Though I know I'll never lose affection
For people and things that went before
I know I'll often stop and think about them
In my life I love you more
In my life I love you more
秋だからか感傷的になってしまった。
マンナム
少し反省した。私はあまりマンナム(出会い)を大切にしていない気がした。小さな出会いを大切にしようなんて最近あまり考えていなかった。反省したのにはきっかけがある。以前知り合った韓国の方が(一日だけ一緒に行動をともにした方)、私のことを韓国のネット新聞に書いていてくれてた。私はたいした事はしてないので何かすごいことが書かれているわけじゃないのだけれど、ただ私との小さな出会いを大切に思ってくれているのが記事を通してわかって嬉しかった。色んなことが、おそらく小さなきっかけから大きな何かに発展するんだろうな。小さなマンナムを大切にしていこう。
***
伊藤野枝「自己を生かすことの幸福」(1923)より。
「他人によって受ける幸福は絶対にあてになりません。どれほど信じ、どれほど愛する人によって与えられる幸福にしても、私はそれに甘えすがってはならないと思っています。もちろん甘えられ、すがれる間は甘えるのもすがるのもいいと思います。けれども、何の理由にしろ、その幸福に離れたとき、取り乱すことのないようにしたいものだと、私は終始おもっています。しかしその覚悟は、やはり自分の生きてゆく目標を、どこにおくかによってきまるとおもいます。」
「私ももう少し若かった、まだ少女時代の夢が半分残っていた頃には、恋愛を本当に人生の第一義的なものにまつり上げていました。本当に立派な愛のためにはすべての自己を捧げつくすべきだと考えておりました。けれども間もなく私は、人間がそんな事で満足して生きていけるものでないという事が分かりました。いかに愛し合い、いかに信じ合って、一つ生活を営んでいても、要するに、二人の別な人間だという事実、その二人が各自に自分を生かそうとする努力を長く愛のために犠牲にして、幸福をとらえておくことは出来ぬという事を知りました。人間の本当の幸福は、決して他人から与えられるものではありません。自己を生かす事によって得られる幸福が本当のものだと私は思います。」
高村光太郎の「智恵子の半生」を読んでいるときも野枝の文章がふと思い浮かんだ。智恵子の生涯も「自己を生かすこと」ができていたら何か変わっていたのかなと。
***
友達と読書会(書評会)を始めることにした。新しいことを発見したり考えが深まると良いな。
***
伊藤野枝「自己を生かすことの幸福」(1923)より。
「他人によって受ける幸福は絶対にあてになりません。どれほど信じ、どれほど愛する人によって与えられる幸福にしても、私はそれに甘えすがってはならないと思っています。もちろん甘えられ、すがれる間は甘えるのもすがるのもいいと思います。けれども、何の理由にしろ、その幸福に離れたとき、取り乱すことのないようにしたいものだと、私は終始おもっています。しかしその覚悟は、やはり自分の生きてゆく目標を、どこにおくかによってきまるとおもいます。」
「私ももう少し若かった、まだ少女時代の夢が半分残っていた頃には、恋愛を本当に人生の第一義的なものにまつり上げていました。本当に立派な愛のためにはすべての自己を捧げつくすべきだと考えておりました。けれども間もなく私は、人間がそんな事で満足して生きていけるものでないという事が分かりました。いかに愛し合い、いかに信じ合って、一つ生活を営んでいても、要するに、二人の別な人間だという事実、その二人が各自に自分を生かそうとする努力を長く愛のために犠牲にして、幸福をとらえておくことは出来ぬという事を知りました。人間の本当の幸福は、決して他人から与えられるものではありません。自己を生かす事によって得られる幸福が本当のものだと私は思います。」
高村光太郎の「智恵子の半生」を読んでいるときも野枝の文章がふと思い浮かんだ。智恵子の生涯も「自己を生かすこと」ができていたら何か変わっていたのかなと。
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友達と読書会(書評会)を始めることにした。新しいことを発見したり考えが深まると良いな。
地球
NHK番組改変訴訟、中国残留孤児訴訟、柳沢厚生労働大臣の発言…考えさせられることが一杯です。
今日から二月ですね。
一月はあまりに色々あってあっという間に過ぎました。半分夢見ていたような感じです。今年は一体どんな一年になるのか。
いつも新鮮で清い心を持てたらいいなと思います。緑か雪のいっぱいあるところで大きく深呼吸したい。
都会の隅っこでこの地球に生まれてきた意味をぼーっと考えています。
私のストーリー
以前もらったコメントを読み返して思ったことなんだけれど、私が日本人であるか、朝鮮半島の人であるか、在日コリアンであるかによってこのブログを読んでいる人の受け止め方が変わってくるのは不思議なことだなと思う。
あえてブログでは書かなかったけれど「実は日本国籍の在日コリアンでした」と告白したら納得するのかな。どうりでって思うのかな。そうしたら「きっとこの人は同胞を守るのに必死になっているんだ」「だから日本政府に対して批判的なんだ」と思うのかな。そうしたら日本の「愛国心教育」とかに反対したり「戦後補償をちゃんとせよ」しているのも理解してもらえるのかな。
じゃあ、私のストーリーを話そう。祖父が日本に来たのは1920年代です。釜山から関釜船に乗って日本海を渡って来ました。そのとき竹島(独島)が見えたそうです。腹を空かせていたのでなぜかあの岩山が美味しそうに見えたとのこと。人間腹が空くと何を考えるかわかりません。最初は大阪に降り立ちました。祖父は日本でモダンガールというのを初めて見たそうです。「実に美しい!」と朝鮮人の友人に言ったところ「朝鮮人の女性がよっぽど綺麗じゃないか!」と怒られたそうです。祖父は「そうだな…」と言ったものの日本の女性も朝鮮の女性に劣らず美しいと感じ、その後は日本人女性を見るたびに自分を責めたそうです。「朝鮮人なのに日本人の女性を美しく思うなんて、このパボ、パボ!」と。大阪ではなかなか仕事が見つからず、はじめは住み込みで料理亭で働いたそうです。しかしキャベツを切ることしかさせてくれなかったと後で恨んでいました。「高等教育を受けた俺にキャベツ切りとは何だ!」と顔を真っ赤にして途中でやめたようです。その後友人の紹介で九州の造船会社で働くことになりました。祖父はわりと良い職に就きましたがそこでも朝鮮人差別はひどかったようです。みんなのやりたがらない仕事を回され過酷な労働条件だったそう。泳ぎに自信のあった祖父は一度朝鮮まで泳いで帰ることを決め3キロほど泳いだそうですが、漁船に見つかりつかまってしまいました。「あのとき漁船さえ来なければ」と、とても悔しがっていたので本気で朝鮮まで泳げると信じていたようです。祖母は済州島から家族全員でわたってきたのですが、祖父と会ったのは大阪のようです。詳しいことはよくわかりませんがとてもドラマティックな恋愛をしたようです。後に祖母は私は「風とともに去りぬ」のスカーレットのようだったと自慢していました。自分は若いとき美しかったと言いたかったのでしょうか。祖父は同じ朝鮮人内にもいろいろ対立があったと言っていました。炭鉱で働いている朝鮮人からしたら祖父はもしかしたら対日協力者のように映ったのかもしれません。決して祖父も恵まれた環境ではなかったけれど炭鉱で肉体労働をしている人たちよりはましでした。
日本で子供を二人生み、いろいろあって戦後を迎えましたが、祖父は私の生まれる前に死にました。食中毒でした。祖母は韓国に戻り5年ほど前亡くなりました。最後まで日本への憎しみは消えなかったようですが、たくあんが恋しいと呟いていました。
実は私の両親は祖父・祖母が朝鮮人であることを教えてはくれませんでした。家でも一切朝鮮料理など出てきませんでした。しかし運命の日はやってきました。中3の夏休み、家族でカレー屋に行きました。私は辛くてなかなか食べれず父を怒らせてしまいました。そのとき父が「お前は辛いものが食べられないのか!日本の味気ないものばかり食べてるからだ!お前には韓国人としてのプライドはないのか!」と叫んだのです。私は意味がわかりませんでした。自分のルーツが朝鮮にあると知ったのはそう、そのときです。中学3年生の夏休みにカレー屋さんで父が叫んだあの言葉、「お前には韓国人のプライドはないのか!」。そのとき一度はもちろんアイデンティクライシスのようなものに陥ったけれど、しばらくして立ち直り私はカレーをたいらげました。母はそんな私を見ながら静かに涙を流しました。
夏休みが明けて学校の先生に「よんじゃ」と呼んでくださいと話しました。先生は変な名前だと笑いました。もしかしたらいじめを受けるから日本名のままでいいじゃないかと言われたけれど断りました。友達にも話しました。とても勇気が入りました。友達は「へえ、韓国ってぜんぜん知らない」と言いました。「私もよく知らないけど、韓国人は辛い食べ物が好きらしい」と答えました。ちなみによんじゃは「霙子」と書く。「みぞれ」という意味です。みぞれのように激しく美しくという意味で誰かがが付けてくれました。その後韓国語も話せないようでは仕方がないと思い韓国語を勉強し始めました。それは韓国の親戚に会ったときに韓国語ができないと恥ずかしいと思ったからです。親は私に日本人として育ってほしかったようで私に反対しましたが…。しかしそれも昔の話。韓流ブームで両親は「韓国人として立派に生きるんだ!」と毎日おおはしゃぎしています。朝鮮半島で起こっていることは決して他人事だとは思えません。大いなる闘志を燃やし、ときに鎮火し、今に至ります。
どうだろう、納得してもらえただろうか。私がコリアを学ぶ修行をする理由を。
でも実はほかにもたくさんストーリーがある。
「実は祖父と祖母は台湾人でした」バージョン。
「実は祖父はロシア人で赤毛のイワンという名の男でした」バージョン。
私何が言いたかったのだろう。要するに先入観とか捨てて人と接するのが大事かなと。日本人だからこう言う、朝鮮人だからああ言うとか。そういうことを越えて日本とコリアを語れたらいいなあ、と思ってブログを書いているよんじゃでした。私が日本人だったとしても、朝鮮半島の人だったとしてもあまり変わりはない気がする。
あえてブログでは書かなかったけれど「実は日本国籍の在日コリアンでした」と告白したら納得するのかな。どうりでって思うのかな。そうしたら「きっとこの人は同胞を守るのに必死になっているんだ」「だから日本政府に対して批判的なんだ」と思うのかな。そうしたら日本の「愛国心教育」とかに反対したり「戦後補償をちゃんとせよ」しているのも理解してもらえるのかな。
じゃあ、私のストーリーを話そう。祖父が日本に来たのは1920年代です。釜山から関釜船に乗って日本海を渡って来ました。そのとき竹島(独島)が見えたそうです。腹を空かせていたのでなぜかあの岩山が美味しそうに見えたとのこと。人間腹が空くと何を考えるかわかりません。最初は大阪に降り立ちました。祖父は日本でモダンガールというのを初めて見たそうです。「実に美しい!」と朝鮮人の友人に言ったところ「朝鮮人の女性がよっぽど綺麗じゃないか!」と怒られたそうです。祖父は「そうだな…」と言ったものの日本の女性も朝鮮の女性に劣らず美しいと感じ、その後は日本人女性を見るたびに自分を責めたそうです。「朝鮮人なのに日本人の女性を美しく思うなんて、このパボ、パボ!」と。大阪ではなかなか仕事が見つからず、はじめは住み込みで料理亭で働いたそうです。しかしキャベツを切ることしかさせてくれなかったと後で恨んでいました。「高等教育を受けた俺にキャベツ切りとは何だ!」と顔を真っ赤にして途中でやめたようです。その後友人の紹介で九州の造船会社で働くことになりました。祖父はわりと良い職に就きましたがそこでも朝鮮人差別はひどかったようです。みんなのやりたがらない仕事を回され過酷な労働条件だったそう。泳ぎに自信のあった祖父は一度朝鮮まで泳いで帰ることを決め3キロほど泳いだそうですが、漁船に見つかりつかまってしまいました。「あのとき漁船さえ来なければ」と、とても悔しがっていたので本気で朝鮮まで泳げると信じていたようです。祖母は済州島から家族全員でわたってきたのですが、祖父と会ったのは大阪のようです。詳しいことはよくわかりませんがとてもドラマティックな恋愛をしたようです。後に祖母は私は「風とともに去りぬ」のスカーレットのようだったと自慢していました。自分は若いとき美しかったと言いたかったのでしょうか。祖父は同じ朝鮮人内にもいろいろ対立があったと言っていました。炭鉱で働いている朝鮮人からしたら祖父はもしかしたら対日協力者のように映ったのかもしれません。決して祖父も恵まれた環境ではなかったけれど炭鉱で肉体労働をしている人たちよりはましでした。
日本で子供を二人生み、いろいろあって戦後を迎えましたが、祖父は私の生まれる前に死にました。食中毒でした。祖母は韓国に戻り5年ほど前亡くなりました。最後まで日本への憎しみは消えなかったようですが、たくあんが恋しいと呟いていました。
実は私の両親は祖父・祖母が朝鮮人であることを教えてはくれませんでした。家でも一切朝鮮料理など出てきませんでした。しかし運命の日はやってきました。中3の夏休み、家族でカレー屋に行きました。私は辛くてなかなか食べれず父を怒らせてしまいました。そのとき父が「お前は辛いものが食べられないのか!日本の味気ないものばかり食べてるからだ!お前には韓国人としてのプライドはないのか!」と叫んだのです。私は意味がわかりませんでした。自分のルーツが朝鮮にあると知ったのはそう、そのときです。中学3年生の夏休みにカレー屋さんで父が叫んだあの言葉、「お前には韓国人のプライドはないのか!」。そのとき一度はもちろんアイデンティクライシスのようなものに陥ったけれど、しばらくして立ち直り私はカレーをたいらげました。母はそんな私を見ながら静かに涙を流しました。
夏休みが明けて学校の先生に「よんじゃ」と呼んでくださいと話しました。先生は変な名前だと笑いました。もしかしたらいじめを受けるから日本名のままでいいじゃないかと言われたけれど断りました。友達にも話しました。とても勇気が入りました。友達は「へえ、韓国ってぜんぜん知らない」と言いました。「私もよく知らないけど、韓国人は辛い食べ物が好きらしい」と答えました。ちなみによんじゃは「霙子」と書く。「みぞれ」という意味です。みぞれのように激しく美しくという意味で誰かがが付けてくれました。その後韓国語も話せないようでは仕方がないと思い韓国語を勉強し始めました。それは韓国の親戚に会ったときに韓国語ができないと恥ずかしいと思ったからです。親は私に日本人として育ってほしかったようで私に反対しましたが…。しかしそれも昔の話。韓流ブームで両親は「韓国人として立派に生きるんだ!」と毎日おおはしゃぎしています。朝鮮半島で起こっていることは決して他人事だとは思えません。大いなる闘志を燃やし、ときに鎮火し、今に至ります。
どうだろう、納得してもらえただろうか。私がコリアを学ぶ修行をする理由を。
でも実はほかにもたくさんストーリーがある。
「実は祖父と祖母は台湾人でした」バージョン。
「実は祖父はロシア人で赤毛のイワンという名の男でした」バージョン。
私何が言いたかったのだろう。要するに先入観とか捨てて人と接するのが大事かなと。日本人だからこう言う、朝鮮人だからああ言うとか。そういうことを越えて日本とコリアを語れたらいいなあ、と思ってブログを書いているよんじゃでした。私が日本人だったとしても、朝鮮半島の人だったとしてもあまり変わりはない気がする。
思ったこといくつか
『前夜』の最新号が送られてきた。その中で徐京植さんの尹東柱の「序詩」の日本語訳に関する考察が興味深かった(「母語という暴力−尹東柱を手がかりに考える」)。ところで友人にも言ったのだけれど、私は「前夜宣言」のこの部分がとても好きだ。
「知的」であることは現実を変えようとする情熱と不可分であり、現実を変えるためには「知的」でならなければならない。この「夜」を悔いなく生きたいと願う私たちは、「知的」であることの責任を回避せず、真に「知的」であろうとする努力を惜しまない。
私も知的になりたいな。
++++++++++++++++++++++++++
友達が安倍晋三の言う「美しい日本」というのはどういうものかと聞いてきたが、私も答えに窮した。昨日衆院代表質問で社民党の日森議員が「美しい国」の具体像とはどういうものなのかと質問していた。それに対する安倍首相の答弁。
「私が目指す美しい国とは活力とチャンスと優しさに満ち溢れ、自立の精神を大切にする世界に開かれた国であります。すでに新たな活力を生み出せるオープンな経済社会、努力した人が報われ誰でもチャレンジが可能な社会、助け合いの精神に支えられた安心できる社会、そして世界からも信頼され尊敬されるリーダーシップのある国、そうした国が美しい国の具体像であります。」
何なんだこの抽象的な説明は、どこが具体像なんだ。と笑ってしまった。
ところで爆笑問題の太田光と多摩美の先生中沢新一が書いた『憲法九条を世界遺産に』は、20万部も売れたそう。本屋で立ち読みしたけれど、発言する芸人としての太田の悩みとかが書いてあって色々考えさせられた。頑張ろう、太田君!
「知的」であることは現実を変えようとする情熱と不可分であり、現実を変えるためには「知的」でならなければならない。この「夜」を悔いなく生きたいと願う私たちは、「知的」であることの責任を回避せず、真に「知的」であろうとする努力を惜しまない。
私も知的になりたいな。
++++++++++++++++++++++++++
友達が安倍晋三の言う「美しい日本」というのはどういうものかと聞いてきたが、私も答えに窮した。昨日衆院代表質問で社民党の日森議員が「美しい国」の具体像とはどういうものなのかと質問していた。それに対する安倍首相の答弁。
「私が目指す美しい国とは活力とチャンスと優しさに満ち溢れ、自立の精神を大切にする世界に開かれた国であります。すでに新たな活力を生み出せるオープンな経済社会、努力した人が報われ誰でもチャレンジが可能な社会、助け合いの精神に支えられた安心できる社会、そして世界からも信頼され尊敬されるリーダーシップのある国、そうした国が美しい国の具体像であります。」
何なんだこの抽象的な説明は、どこが具体像なんだ。と笑ってしまった。
ところで爆笑問題の太田光と多摩美の先生中沢新一が書いた『憲法九条を世界遺産に』は、20万部も売れたそう。本屋で立ち読みしたけれど、発言する芸人としての太田の悩みとかが書いてあって色々考えさせられた。頑張ろう、太田君!
「安全」を考える
パク・ノジャ先生が九州に滞在しているとのことで、日記が面白いです(韓国語)→http://wnetwork.hani.co.kr/gategateparagate/
歯医者に治療に行ったとか。そこでももちろん歴史や韓国社会について考えている。日本では漢字のおかげで随分楽にやっているようです。韓国でもやはり漢字を使ったほうが良いのではないか…と色々問題があるのはわかるけれど私も思う。
韓国もついに米国牛肉の輸入を再開したとKBSニュースで見た。市民団体が抗議しているとの記事も読む。韓国で安心して牛カルビ食べられないよ。どうしよう。一時は鶏肉に恐怖があって鶏肉を避けていたけれど…サムギョプサルだけ食べればいいのか?みなさんも気をつけてください。
食の安全はとても大事だ。あるおばさんがある生協の職員のおばさんに「最近生協のものも添加物が多すぎる」と抗議したところ「一番恐いのは食中毒よ」と食品添加物は仕方がないと言われ、おばさんはキレて「それは消費の論理だ!」と論破していた。
お金持ちは安全なものを食べられる。ハーゲンダッツのアイスクリームを食べていればいい。でも大多数の人はそうはいかない。
最近街には激安ショップが溢れているけれど食品はあまり安心できないのう。安いからって良いわけじゃないのを最近つくづく感じる。飛行機だって安くなりすぎて、乗っていると恐い恐い。色々ルポも書かれているけれど点検など手抜きが多いようだ。
歯医者に治療に行ったとか。そこでももちろん歴史や韓国社会について考えている。日本では漢字のおかげで随分楽にやっているようです。韓国でもやはり漢字を使ったほうが良いのではないか…と色々問題があるのはわかるけれど私も思う。
韓国もついに米国牛肉の輸入を再開したとKBSニュースで見た。市民団体が抗議しているとの記事も読む。韓国で安心して牛カルビ食べられないよ。どうしよう。一時は鶏肉に恐怖があって鶏肉を避けていたけれど…サムギョプサルだけ食べればいいのか?みなさんも気をつけてください。
食の安全はとても大事だ。あるおばさんがある生協の職員のおばさんに「最近生協のものも添加物が多すぎる」と抗議したところ「一番恐いのは食中毒よ」と食品添加物は仕方がないと言われ、おばさんはキレて「それは消費の論理だ!」と論破していた。
お金持ちは安全なものを食べられる。ハーゲンダッツのアイスクリームを食べていればいい。でも大多数の人はそうはいかない。
最近街には激安ショップが溢れているけれど食品はあまり安心できないのう。安いからって良いわけじゃないのを最近つくづく感じる。飛行機だって安くなりすぎて、乗っていると恐い恐い。色々ルポも書かれているけれど点検など手抜きが多いようだ。
夢−山の中
夢なんて言葉からかなり遠ざかっていた。いつの間にか昔の日記を読むのが恥ずかしいくらいになっていた。まぶし過ぎて目が眩む。
でも最近一つ夢がある。叶うかわからないけれど想像するだけで楽しい。
韓国の山の中に住みたい。都会じゃなくて、山の中。水墨画の絵のような霧のかかる山を眺め毎日を送る…こんな世界で暮らしてみたい。とても私らしい気がするのだけれど、どうかな。実はひそかに友人と計画は進みつつある。山の中に小屋があって、そこに好きな本がずらりとあって、映画も見て、美味しい採りたての野菜があって、山を登ると綺麗な池があって…。おとぎ話のように聞こえるけれど、そんなことないんだよね。オーストラリアにいたときBellingenという所にいった。そこには都会の暮らしを離れ「オルターナティブ」に生きる人たちが集まってコミュニティを作っていた。自分が作った素敵な木の小屋に住んでいる人もいれば、バスを改造して住んでいる人もいた。野菜や果物は自家栽培で、海には何も着ないで入っていた。瞑想などアジア的なものにスピリチュアリティを求めているのが少し私の目には疑問に映ったけれども、それでも彼らは都会の人には見られない特別なものを持っていた。生活は質素だけれど、内面はとても豊かだった。一人一人がとても美しく見えた。
二、三年後くらいにはもしかしたら私も韓国の山の中にいるかもしれない。せめて山の麓くらいにはいたいな。そうしたら遊びに来てください。現実におとぎの世界を生きてみたいな。
でも最近一つ夢がある。叶うかわからないけれど想像するだけで楽しい。
韓国の山の中に住みたい。都会じゃなくて、山の中。水墨画の絵のような霧のかかる山を眺め毎日を送る…こんな世界で暮らしてみたい。とても私らしい気がするのだけれど、どうかな。実はひそかに友人と計画は進みつつある。山の中に小屋があって、そこに好きな本がずらりとあって、映画も見て、美味しい採りたての野菜があって、山を登ると綺麗な池があって…。おとぎ話のように聞こえるけれど、そんなことないんだよね。オーストラリアにいたときBellingenという所にいった。そこには都会の暮らしを離れ「オルターナティブ」に生きる人たちが集まってコミュニティを作っていた。自分が作った素敵な木の小屋に住んでいる人もいれば、バスを改造して住んでいる人もいた。野菜や果物は自家栽培で、海には何も着ないで入っていた。瞑想などアジア的なものにスピリチュアリティを求めているのが少し私の目には疑問に映ったけれども、それでも彼らは都会の人には見られない特別なものを持っていた。生活は質素だけれど、内面はとても豊かだった。一人一人がとても美しく見えた。
二、三年後くらいにはもしかしたら私も韓国の山の中にいるかもしれない。せめて山の麓くらいにはいたいな。そうしたら遊びに来てください。現実におとぎの世界を生きてみたいな。



